吉松隆のショスタコーヴィチ論

吉松隆のショスタコーヴィチ論

吉松さんは著作活動も盛んな作曲家として有名で、ショスタコーヴィチに関するいくつかの論文を彼のサイトに公開しています。このサイトは2002年に開始されていますが、彼の作曲作品だけでなく、音楽に関する様々な話題の書き込みがあり、興味深いサイトです。
問題は20年以上続いているサイトなので、情報があっちこっちに散乱し、捜し出すのが大変なこと。僕が見つけたのはショスタコーヴィチ関連の記事は以下の5編です。

それぞれの論文は吉松流の謎解きが冴えわたっていて面白く読めます。簡単に紹介します。

まず、最初の『「ショスタコーヴィチの証言」は偽書的「聖書」である』。書名の「ショスタコーヴィチの証言」でググるとトップの方に表示される論文です。初出は1994年、ショスタコーヴィチ協会会報に掲載された記事のようです。
内容はヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」を『偽書的「聖書」』として擁護した論文です。

論旨は「『証言』が偽書であることは確実だろうが、その内容は彼の作曲した音楽や言動と矛盾しない」ということ裏付ける様々な例を挙げ、「『聖書』によってキリストを信じる信仰心は一層深まるように、『証言』によってのショスタコーヴィチの音楽の意味は一層よく理解されるようになる」というもの。従って

ゆえに、この「証言」はいまだに私にとって音楽関係のものとしては戦後もっとも興味深い書物であり、何度読んでも飽きない不思議な含蓄ある言葉に満ちた奇妙な辞典であり続けている。

 歴史上の人物となったキリストが単なる一人の人間ではなくなったように、音楽史上の人物となったショスタコーヴィチもまた、もはや単なる一人の音楽家ではない。ただのソヴィエトの一青年が、交響曲を15ほど発表して作曲家ショスタコーヴィチになったように、死後さらなる研究やデマや想像や証言や粉飾や伝説を施されて真に世界の共有財産である「ショスタコーヴィチ」に昇華する。

となる。
僕もこの結論に賛成です。日本の学者が書いたショスタコーヴィチ論が退屈なのは、ただただ実証主義で、このような視点が欠落しているからでしょう。

その後の四つの記事は、ヴォルコフばりに、タイトルにある作品の謎解きをしたものです。
この4作品の選び方が面白い。選ばれた作品は

  • 交響曲第10番(1954年)
  • 交響曲第13番バビ・ヤール(1962年)
  • 森の歌(1949年)
  • 明るい小川(1935年)

「ショスタコーヴィチ/交響曲第10番に仕掛けられた暗号」は新潮社のグラモフォン・ジャパン2000年7月号に掲載されたもので、それ以外の3つはJapan Arts社のウェブマガジン「月刊クラシック音楽探偵事務所」に連載されたらしい。
順にそれぞれの曲での吉松流謎解きの内容を見ていきましょう。

グラモフォン・ジャパンはイギリスのレコード雑誌グラモフォンの日本語版として2000年頃発刊された雑誌です。切れ味の鋭い批評や特集記事があり、レコ芸対抗の良い雑誌が出てきたなと思っていたら、あっと言う間に廃刊になってしまいました。レコ芸も廃刊となった現在、様々な感想があるのですが、本題と関係無いので省略。

「吉松隆のショスタコーヴィチ」に戻って、吉松さんは交響曲第10番のリスト・ファウスト交響曲との類似性に目をつける。「第1楽章は悩めるファウスト=ショスタコーヴィチ、第2楽章は悪魔メフィスト=スターリン、第3楽章は救済グレーチェン=エリミーラ、そして空虚な空騒ぎを感じさせる第4楽章(フィナーレ)」と断じる。
この作品、人気は第5番、第7番ほど高くないですが、ショスタコーヴィチの交響曲のなかで最大の傑作と評されている曲です。
曲の分析に関してはdecafishさんが「腰も砕けよ 膝も折れよ」https://decafish.blog.ss-blog.jp/ に興味深い記事を掲載しています。ちょっと見つけにくいページなのでリンクを貼っておきます。

ショスタコーヴィチ交響曲第10番について – その1 – その2 – その3 – その4 https://www.youtube.com/watch?v=jxIUr-nD_vQ

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吉松さんとdecafishさんの指摘で共通しているのはこの曲の謎(性格)です。まず吉松論文

この第10番が全体的に悲劇的なトーンを帯び、かつ終幕の「救済の合唱」が存在せず、どこか空虚な空騒ぎを感じさせる第4楽章(フィナーレ)がくっついているのもその不吉さゆえだろう。
 ショスタコーヴィチという名のファウストは、「永遠にして女性的なるもの」を求める気持ちからこの暗号に満ちた二重構造の交響曲を書いた。しかし、彼にはそれが「魂を救う」とはどうしても思えなかった。それもまた(悲しいことに)、この作品を聴くと痛いほど分かるのだ。

次にdecafishさんの結論

前回書いたようにベートーヴェンは緻密な構造で彼の音楽を組み立てた。我々聴き手はみごとに出来上がった構造を聴くのではなく、それによってベートーヴェンの意志の力やその強い推進力、音符ひとつひとつにまで宿る生命力などを聴きとって感動するのである。それが音楽の内容というものである。
・・・・
その意味で、この第10番は無内容であると言っていい。

・・・・曲全体としての無内容さが意識されたとき(何がいいたいんだこの曲は? 実によくできてるけど何もないじゃないか)初めて、ショスタコーヴィチの書きたかったことが逆説的に聴き手に伝わることになる、と僕には思える。

二人の分析に共通するのはこの曲の意味の分かりにくさですね。お二人は曲の分かりにくさを『空虚』とか『無内容』と表現されています。

僕はその分かりにくさは、この曲がスターリンの死前後のソ連共産党が今後がどうなるかよく分からない時期に作曲されたためたではないか、と思っています。
フルシチョフ体制が確立する前の時代。スターリンの恐怖は去ったが、ソビエト共産党がどういう方向に行くか不明の時代にDSCHが乱舞する曲を書くというのがショスタコーヴィチの流儀だったということでしょう。

この時期、ショスタコーヴィチは海外の国際会議に出席し、ソ連共産党の正しさを主張することを強要されています。憂さ晴らしにこの交響曲を準備してたら、運良くスターリンが死んでくれた。早速、曲を作曲・公開した。ということですかね。

スターリン死後、ショスタコーヴィチはロシア革命をテーマにした2曲の交響曲を作曲します。スターリンが生きている間(4番から10番)はテーマが明快に分かる交響曲は一切作曲しなかったのに、死んだとたんに、革命讃歌の交響曲を連発というところがショスタコーヴィチの面目躍如ですね。

さらに1961年に無理矢理共産党に入党させられたら、とたんに革命讃歌は止めて、反体制的なテーマの曲を連続させるといのも凄い。さすがです。

吉松さんの「ショスタコーヴィチ考〈バビ・ヤールをめぐって〉」は反体制交響曲の第一弾、13番を分析したものです。詳しい分析はリンク先の論文を読んで頂くとして、吉松さんのこの曲の評価が凄い。

それにしても、独ソ戦を描いた第7番や第8番、あるいは革命を描いたという第11番や第12番でさえ「純器楽交響曲」として具体的な言葉の挿入をしなかったショスタコーヴィチが、これほどきわどい題材に具体的な「言葉(声楽)」を付けた交響曲とした理由は、どのあたりにあるのだろう?

 下世話に穿った見方をしてみるなら、11番・12番と体制寄りの(西欧知識人たちからは反感を得るような)作品を書いてしまい、国内の反体制的な立場をとる芸術家たちから見限られるギリギリの瀬戸際に立ったショスタコーヴィチが、一種の「名誉挽回」かつ「起死回生」を試みた作品ということも出来そうだ。

 この曲がなかったら、ショスタコーヴィチは確実に「体制に下ってしまった作曲家」として男を下げたに違いないのだから。

さすが吉松さん。いいですねぇ。「体制に下ってしまった作曲家」として男を下げた !

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11番、12番の日本初演はソ連での初演(それぞれ1957年10月、1961年10月)の翌年(1958年5月、1962年4月)にプロのオーケストラで行われていますが、13番はソ連初演の13年後(1975年12月)にアマチュアの早稲田大学交響楽団と早稲田大学グリークラブ・稲門グリークラブによって日本初演されています。
この辺り日本のショスタコーヴィチの受け入れ方の歪みをよく表していますね。
まあ、僕も『証言』を読むまでは、ショスタコーヴィチって体制に従順なのだけど、変な曲を書く作曲家だと思っていただけなので、偉そうなことは言えないのですが。

さて、残りの二つの論文はショスタコーヴィチの「体制に下ってしまった」作品を取り上げてユニークな謎解きをしたものです。

『ショスタコーヴィチ「森の歌」を深読みする』は文字通り深読みする論文で、『「森の歌」とは実は「クロームィの森の歌」なのである』を証明する論文です。

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『クロームィの森』とはムソルグスキイの歌劇「ボリス・ゴドノフ」 の終幕でディミトリーを名乗る偽皇子の反乱軍が集結し、民衆を煽動しボリス打倒を叫びながら進軍してゆく森です。ボリスはレーニンを騙して権力を握ったスターリンを暗示しています。ディミトリーを名乗る偽皇子はショスタコーヴィチその人。従って「森の歌」は体制に下がったように見せかけた反体制の合唱曲だというわけ。まさに超深読みですね。

『音楽の荒唐無稽とウソ〜ショスタコーヴィチ「明るい小川」をめぐって』はショスタコーヴィチの作風の二面性(単純明快なモダニズムと複雑怪奇な分かりやすさ)がテーマです。この二面性とソ連の政治状況がショスタコーヴィチの音楽を作り出した。
「音楽の荒唐無稽」と「音楽のウソ」というのは1936年プラウダに掲載されたショスタコーヴィチ批判の記事です。「荒唐無稽」は「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を「ウソ」は「明るい小川」を批判しています。「マクベス夫人は複雑怪奇なモダニズム、小川は単純明快な分かりやすさが問題だ」と批判された訳です。この批判にショスタコーヴィチはどうすれば良いか、焦ったでしょうね。批判はまったくその通りだから。学習した彼は「単純明快なモダニズムと複雑怪奇な分かりやすさ」と逆にしてみることにした。この先は吉松さんの論文から引用しましょう。

 ところが、この記事が載った1936年というのは、スターリンによる独裁体制が確立されて、大粛正(政府に反対する勢力を抹殺する)が行われた時代の始まりの年。となると、かなり事情は違う。
 平和時ならただの「助言」でも、独裁政権下では「警告」。反抗して「反体制的」だと睨まれようものなら、ただちに「反逆罪」として銃殺されかねないのだ。(実際、この時期に粛正され銃殺された軍人、文人、一般人は、一説によると200万人!とも言われる)。ことは単に「音楽上の見解の相違」ではなく「命に関わる問題」ということになる。
・・・・
 ところが、ショスタコーヴィチはそんなことではめげなかった。なんと翌37年(革命20周年)の11月には(第4番とはがらりと路線を変えた、しかし悲劇的な重厚さを湛えた)「交響曲第5番」を発表。政府が提唱する「社旗主義リアリズム」路線にのっとった名作として名誉回復を果たしてしまうのである。

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そして、「明るい小川」に関しては

しかし、あまりにミュージカル的(というよりショー仕立て)だから「ロシアの伝統的バレエ」とか「社会主義リアリズム」とかいう視点から見ると、問題が多いことは否めない。そこが、お堅い役人たちの不評を買った理由のようだ。
 なにしろ、これだけダンスが続くのに、いわゆるチャイコフスキー的な「ロシア的」「民族的」な香りはほとんどなく、だからと言ってストラヴィンスキー的な「先鋭的」「機械的」な香りもない。
 これを「バレエというロシアの伝統的な芸術を、かくも軽々しくも浅はかな世界に描いた」「嘘(いつわり)の世界」と見破った「プラウダ」は偉い!(のかも知れない)
 まさに「軽やかで軽妙な虚構(ファンタジー)の世界」がここにある。でも、芸術は「ウソ(虚構)だからこそ楽しい!」のでは?

ということになります。面白いでしょ。

この書き込みのアイキャッチ写真は1934年のものです。プラウダ批判前の幸せな時代。

上記の写真は1948年。なんとか粛清の嵐を逃げきって傑作の森を築いた時代。

1958年頃の写真。スターリンは死んだ。

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