ネットサーフをしていて、偶然、佐藤俊介さんがオランダバッハ協会を率いて演奏しているバッハの「フーガの技法」(YouTube動画)を発見しました。こんなに分かりやすい「フーガの技法」は初めて。素晴らしい演奏でした。
作曲家・ピアニストの高橋悠治さんが「バッハは偉大だが、長すぎて退屈」と言っていますが、この曲集はその典型のような曲でしょうね。16曲、全曲を演奏するのに80分。スコア無しで、楽しく聴き通すのは不可能です(^^;;;。
全ての曲は素晴らしく、完璧に書かれているのですが、対位法なんて音楽学校で皆が敬遠する技法の極致を究めた曲ばかりですから、数曲聴いただけで疲れ果てる。
これは「フーガの技法」のコントラプンクトゥス 1番のオリジナルの初版譜です。フーガ声部毎に分けられたスコアです。最大4声なので、鍵盤楽器で弾く事が可能ですが、このままでは弾きにくいです。また、曲によっては音域が広くなりすぎて、両手しか使えないピアノなどでは演奏不可能な場所があります(オルガンなら足が使えるのでOK)。バッハがこの曲を公開した理由は研究用という部分が大きいのでしょう。
ご覧のように、スコアには曲を演奏する順序、楽器、テンポなどの指定は存在しません。フーガの各声部に対応して音符が並んでいるだけ。対位法の理解には良いスコアですが、演奏するには適切な解釈が必要です。
佐藤さんは、手兵のオランダバッハ協会の合奏団を使い、演奏順序、使用する楽器、テンポなどの謎を見事に解き明かしています。その内容をご紹介しましょう。以下の説明はフーガの技法Wikipediaの情報をベースにします。以下、画面のキャプション部分をクリックすれば、曲の演奏を開始させることが出来ます。
曲が開始してビックリするのはコントラプンクトゥス 1番が声の4人のソリストにより歌われること。「あら、スウィングルシンガーズなの」となる。
コントラプンクトゥス 2番。ヴィオールの4重奏。「おお。フレットワークね」となる。
そして、コントラプンクトゥス 3番。なんと管4重奏(ツィンク、ショーム、トロンボーン×2)。「カナディアンブラスだ」となる。ただし、使われている楽器は全てバッハの生きていた時代に古楽器となっていたであろう古々楽器。トロンボーンも変な把手のついた風変わりなタイプです。凄い。
コントラプンクトゥス 4番でようやくバッハの時代の楽器、現代からいうと古楽器による4重奏となります。編成はフルート(トラヴェルソ)、バイオリン、チェロ、コントラバス。オランダバッハ協会の通常の編成となったわけです。
「次は何かな?」と身を構える。なんとコラール(Wenn wir im höchsten Nöten sein, BWV 432)。エマニュエルバッハが最終の未完部分を補ったフーガの元ネタのコラールです。「あれ、曲の順番、初稿版と違うのかいな !!! 」となる。
コラールを使って曲の展開を仕切るという手口は受難曲でバッハが使ったものですが、その応用なのですかね。なかなか良い方法だと思います。
ここから先はこのコラールで仕切られる区切り毎にまとめて紹介しましょう。
ここまで来るとコラールで全曲をどう仕切っているのか分かります。フーガの技法は対位法の様々な様式を集めた曲集ですが、様式の種類別に並んでいます。その種別の切れ目にコラールが置かれている。
Wikipediaにこの曲の解説がありますが、第1曲から第4曲までが単純フーガ、第5曲から第7曲までが反行フーガと分類されています。
そして、その中で曲の性格に合わせ、古楽、古々楽、声楽、オルガンを組み合わせて楽器編成を決めているようです。
この3曲は反行のフーガです。1曲目はオルガンで、次に、バッハの時代からいえば最新の楽器を集めた合奏団で、そして、最後はバッハから見ても既にオールドファッションとなっている楽器群(ヴィーオル合奏+トロンボーン+ツィンク)で演奏されます。見事な対比です。
次の4曲は2つの主題による2重フーガ及び3つの主題による3重フーガとなります。
この部分は2つ又は3つの主題によるより複雑なフーガが展開されます。楽器編成は曲の声部に合わせて、自由に選ばれています。一曲目はシンプルな弦3重奏。二曲目以降では、バッハの時代に既に古くなっている楽器(古々楽器)と当時のモダーン楽器さらには声が大胆に組み合わされます。結果、複雑なフーガが分かりやすく音色分けされています。
コントラプンクトゥス 9番では声が使われています。これは “The sung Contrapunctus 9 is intended as a tribute to their great recording.” だそうです。
この4曲は鏡像フーガです。鏡像フーガとは音の進行を上下ひっくり返してフーガを構成する技法です。ちょうどスコアを鏡に写して演奏するようにみえることから鏡像フーガと呼ばれます。第1曲目と2曲目、第3曲目と4曲目が鏡像になっているわけです。演奏する楽器編成もこれを意識して1、2曲目と3、4曲目がシンメトリカルになるような選び方をしていますね。興味深い方法だと思います。
次は4曲のカノンが並びます。全て2声です。カノンはフーガよりより厳密な音の進行が要求されます。それに対応した編成がとられています。第1曲はオルガンだけ、第2曲は2台のヴァイオリン、第3曲はヴァイオリンとファゴット、第4曲は2台のヴィオールとして、2声の動きがよく分かるように構成されています。
曲の並びですが、初版譜ではカノンの先頭の曲である Canon per Augmentationem in contrario motu (拡大及び反行形によるカノン)を一番最後に配置するように変えています。カノングループ全体としてシンプルな曲から複雑な曲に変わっていくよう順序を変えたということなのでしょう。さらに、この曲を古々楽器のヴィオールの2重奏で演奏しているのも印象的です。カノンの中で最も長大・複雑な曲を耳になじみの少ないトレブルとバスヴィオールで演奏するというのは面白いアイディアですね。
終曲前のコラールは最初はアカペラで、2回目は古楽器合奏も入った合奏で演奏されます。「さあ終曲はどうなるのか」と期待が高まります。
この最後の3主題のフーガはバッハの死によりクライマックスの直前で未完に終わったということになっています。しかし、佐藤さんとオランダバッハ協会はこの結論に疑問を投げかける。この演奏の紹介ページから彼らの主張を引用しましょう。
For some time now, there have been doubts about this mythical epithet. One of today’s best-known Bach researchers, Christoph Wolff, makes a very convincing case for conferring the ‘last work’ honour on another of Bach’s pieces (the Mass in B minor). He also suspects that Kunst der Fuge was not incomplete. He is convinced that there must have been at least one draft of the final fugue, which was somehow lost after Bach’s death. A fugue like this is actually a sort of puzzle, which means it is still possible to complete the piece and perform it, despite the missing page. In our case, we have used a completion by Kees van Houten and Leo van Doeselaar.
バッハの最後の作品はロ短調ミサだと証明され、フーガの技法は未完成作品というこれまでの定説は疑問視されている。最後のフーガに関しても完成稿があったはずで、バッハの死に伴い何らかの理由で紛失したのだろう。こういうフーガは一種のパズルのようなものだから、残されたページから完成させることが出来る。
この演奏ではKees van Houten と Leo van Doeselaar の補作を使った。
ということです。
補作者の二人にについてはググったらWikiPediaの情報がありました。オランダ語ですが、グーグルの翻訳機能で十分理解できる内容ですので、そちらを参照して下さい。残念ながらこのフーガの技法への補作についての記載はありませんでした。