コントラプンクトゥスXIX

コントラプンクトゥスXIX

前々回の記事の佐藤さん(オランダバッハ協会)編曲指揮の「フーガの技法」で最後の未完のフーガは完成された版を使い、演奏されていました。

この曲はコントラプンクトゥスXIX or XIVと二つの順番の名前で呼ばれます。フーガの技法全曲の並びでは19番目、コントラプンクトゥス(対位法)の並びだと14番目の曲だからということですかね。
オランダバッハ協会のサイトには

バッハの最後の作品はロ短調ミサだと証明され、フーガの技法は未完成作品というこれまでの定説は疑問視されている。最後のフーガに関しても完成稿があったはずで、バッハの死に伴い何らかの理由で紛失したのだろう。こういうフーガは一種のパズルのようなものだから、残されたページから完成させることが出来る。

この演奏ではKees van Houten と Leo van Doeselaar の補作を使った。

とあります。
調べたら、凄い数の補完版があるのですね。『こういうフーガは一種のパズルのようなものだから、残されたページからいくらでも完成させることが出来る。』ということのようです。
ここ(未完フーガの補完例)に詳細(一覧表)があります。YouTubeに公開出来るようになり、数が増えているようで、19C~20Cの200年間に23曲なのに対し、2000年から2023年の23年間で31曲と指数関数的に増大していますね。
YouTubeにアップされている曲(演奏)を聞き比べてみました。面白かったものをいくつかご紹介したいと思います。

その前にこの曲(コントラプンクトゥスXIX)は本当にフーガの技法の中の一曲なのかという謎について解説します。
(画面はクリックすると拡大できます。)

上の写真はバッハの手書きの譜面です。
左がコントラプンクトゥス XIX 、右がコントラプンクトゥス I です。ご覧のように同じ曲集の中の曲なのに書き方が異なります。楽譜のサイズ、段数、書式など全く別です。コントラプンクトゥス I から XIII までの曲は右の写真ように縦長の楽譜に4段でフーガの声部ごとに分かれた書かれているのに、コントラプンクトゥスXIXのみ横長の楽譜を使い2段の鍵盤譜として書かれています。
また、左の写真の赤枠でくくった部分がコントラプンクトゥス XIX の第1主題、右の写真の黄色がフーガの技法全体(and コントラプンクトゥス I )の主題です。コントラプンクトゥス XIX の第1主題はフーガの技法全体の主題との関連性はありません。

左の赤枠がコントラプンクトゥス XIX の第2主題、右は第3主題です。この二つの主題もフーガの技法全体の主題との関連性はありません。
この三つの主題が全てメインの主題と無関係という点がコントラプンクトゥス XIX は本当にフーガの技法の曲なのかという謎を生んだ最大の理由です。

コントラプンクトゥス XIXの謎については、40年以上昔の番組ですが、FM放送のバッハフーガの技法特集番組で角倉一朗さんが解説されています。YouTube にその録音が残されていますので、リンクしました。40年前のFMはこんな番組もやっていたのですね。この録音は小林道夫さん他の合奏団の演奏も素晴らしいので、お勧めです。

この謎を解いたのは19世紀ベートーヴェン研究家のグスタフ・ノッテボーンさんです。以下日本語版WikiPediaフーガの技法「未完成のフーガについて」によります。

第14コントラプンクトゥスは、3つ目の主題が導入された後の第239小節、3つの主題が重なって登場した直後で突然中断されている。

自筆譜には、バッハの息子であるC・P・E・バッハによって、「作曲者は、”BACH”の名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った (“Über dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben.”)」と記されている(譜面右下参照)。しかしながら、現代の学者たちはこの記述について強く疑問を抱いている。なぜなら、自筆譜の音符は疑いなくバッハ自身の手によって書かれているものであり、視力の悪化のために筆跡が乱れるより前の1748年から1749年の間に書かれたと思われるからである。

また、この記述の下、5線7段が空白のまま残されているが、その最下段右側に僅に音符が書き込まれている。この音符は、同じ譜面に書かれた他の音符よりも符頭が小さく、別の時期に書き込まれたものとされるが、これが本曲と関係があるのかは不明である。

(一部省略 アイキャッチ画面と同じ自筆譜が表示されています)

弟子のアグリコーラとC・P・E・バッハによって書かれたバッハの『故人略伝英語版)』には、「彼の命を奪った病によって計画の完成は妨げられ、最後から二つ目のフーガを書き上げることも、四つの主題を持ち、それから四声すべての音を残らず転回させる最後のフーガを仕上げることもできなかった」と記されているが、この文の解釈は分かれている。中断時点では曲集中で唯一、主要主題もしくはその明確な変形が現れておらず、グスタフ・ノッテボーム1881年の論文で、三つの主題に加えて曲集の主要主題を対位法的に結合させ、四重フーガを作ることができると示した。

このWikiPediaの記述が残されたページからこのフーガをどう完成させればよいかを説明しています。
つまり、『中断した部分はBACHの第三主題と第一/第二主題の結合が開始された部分であるので、この展開を適切に続ける。完了したら、第四の主題はフーガの技法全体のテーマ主題を使い、第一から第三までの主題との結合展開をさせ、クライマックスを構成する。』ということです。

オランダバッハ協会「フーガの技法」のコントラプンクトゥス XIX の補完部分はまさにそのような構成になっています。目で見て確認することができます。

J. S. Bach’s Art of Fugue, performed by the Netherlands Bach Society, with an animated graphical score.

というYouTube動画があり、これは前回ご紹介した演奏に an animated graphical score を付けたものです。

この an animated graphical score は面白い試みですね。楽譜の代わりに音楽を分かりやすく解説してくれる仕組みだと思います。
ここに作者(Stephen Malinowski)のサイトがあります。動画はYouTubeに投稿されているようで、ここが作者のメインのYouTubeチャネルのようです。
上記の埋め込み動画はコントラプンクトゥスXIX のみですが、フーガの技法全曲のアニメート動画はこちらです。

上のスコアはコントラプンクトゥス XIXのバッハが書き残した最終部分です(アイキャッチ画面に対応する部分となります)。
233小節目から三つの主題による展開がはじまります。239小節目で中断されていて、ここから先をどう補作するか。
(以下、画面はクリックすると拡大できます。キャプション部分をクリックするとYouTubeの画面に対応する演奏部分にジャンプします。)

左は上のスコアに対応するアニメート画面、第一主題がバス、第ニ主題がアルト、第三主題がテナー(ここまでがバッハの作曲)、中央は補作部分の展開開始画面(左側は左の画面と重なります)、二回目の展開では第一主題がテナーに、第三主題がアルトに移ります)、右はその次の三回目の展開、第一主題がバス、第二主題がテナー、第三主題がソプラノ(左側は中央画面の右と重なります)

ここでいよいよ第4主題としてフーガの技法のメイン主題が登場します。
左は第1回目、ソプラノにメイン主題。中央は二回目メイン主題はバス。最後は二回目の主題が終わって最後部分に入る直前です。右端の長い線が終結の和音です。

いかがですか。まさにWikiPediaの記述通り謎解きされていることがお分かりかと思います。
もちろん、この謎解きの解は一つだけではありません。対位法の規則に従っていれば無限に謎を解くことが出来ます。

オランダバッハ協会の補完部分は「Kees van Houten と Leo van Doeselaar の補作」ということですが、Houtenさんについては、未完フーガの補完例に、2011年に34小節分、補完された楽譜とCDが公開されているとの記載があります。このページ(Boeken en CD’s « Kees van Houten)にある Contrapunctus 14, de onvoltooide fuga. Reconstructie en voltooiing (met partituur en CD) (2011) がそのようです。
Doeselaarさんはバッハ協会のオルガン奏者です。YouTube動画でもオルガンを担当しています。ただ上記リンク先のリストには補完の記載はありません。
ということは演奏時に Houtenさんの34小節に、Doeselaarさんが多少の手を入れたということなのですかね。

Houten / Doeselaar 補作は短く簡潔な作りで良く出来ていると思います。特にオランダバッハ協会の演奏では編曲が素晴らしく全曲の見事なクライマックスとなっています。

さて、リストからYouTubeにアップされているものを聞き比べてみました。お勧めは三つ。

何れの補作もフーガの技法のメイン主題を第4主題として使う方法をとっているものです。

Tudor Saveanu さんの2012年に公開された全体で373小節の演奏です。スコアはこちらにあります。
演奏時間が約14分30秒。補完部分だけで5分位あり、かなりの長さ。しかし、長さに見合うだけの構成力で補作され、素晴らしい出来です。

Tudor Saveanu さんについてはここ(ウィーン音楽大学の墓名碑)に情報があります。このページはドイツ語表記で英語にも変換できるようですが、上手くいきません(^^;;;。仕方がないので他からの情報で補足します。

Tudor Saveanu(チューダー・サベアヌ)、アルゼンチン・ブエノスアイレスの西南に位置するバイアブランカ生まれの作曲家/ピア二スト。現在は活動の拠点をウィーンに移し、数学者、哲学者、建築家としての見識も交えた独自の古典音楽研究に取り組んでいる。85年頃からは主にオーストリアなどのヨーロッパにてクラシックを中心に演奏する隣ら隣で即興的なジャズ/フュージョン等の活動している。

補作部分は第1から第3主題による三重フーガが4回ほど展開され、269小節目に主要主題が現れ、その後、4重フーガとして何回か展開され、最終的に上の画面のように4つの主題を重ねて終わります。バスから上に順に 1、2、3、4主題と並ぶのが凄いですね。

Yngve Jan Trede(イングヴェ・ヤン・トレデ)、1994年、384小節。スコアと解説はこちらに pdf があります。Trede さんについてはこちら(Wikipediaドイツ語)こちら(墓名碑ドイツ語)を参照して下さい。ドイツ生まれ、デンマークのチェンバリスト/作曲家です。この補稿についてはどちらにも記載がありますので広く知られている作品のようです。

上のスコアはこの曲の最後の20小節程ですが、Trede さんの補完の素晴らしさを知って貰うには格好の部分だと思います。
この曲の特長は二つ。

  • ブゾーニの作品(補作というより編曲)を除き、フーガの技法の補作中、最長の長さであること(384小節)。そしてその長さを納得させるフーガの作法技術。
  • フーガの技法の補作中唯一、4つの主題を同時にひっくり返す鏡像の4重フーガがあること(下段の左右の画面)。この鏡像の4重フーガについては、故人略伝に「四声すべての音を残らず転回させる最後のフーガを仕上げることができる」(日本語版WikiPediaフーガの技法「未完成のフーガについて」の記述参照)とあります。

YouTubeでの演奏はClaviorganumというサウンドフォントを使っています。チェンバロとオルガンの両方の特長を合わせた音で興味深く聞きました。

Zoltán Göncz、1991年、350小節。Gönczはハンガリーの作曲家、リゲティのお友達らしい。
YouTubeのコメント欄にこんなコメントがありました。

As I was for years a counterpoint teacher, and also taught Bach’s fugue technique, I can state that Mr. Göncz’s proposal of completing the unfinished fugue absolutely does justice to the technical and stylistic characteristics of Bach’s fugue writing. Moreover, his essay about this work is excellent and convincing. György Ligeti

” Moreover, his essay about this work ” というのはこれのようです。
ここに英語での紹介
があります。面白いです。

第4主題が初めて登場する部分と最後の部分です。下の permutation matrixで大体どんな展開がされているか分かるかと思います。

この三つはどれも素晴らしい補完作だと思います。是非お聴き下さい。
他にも紹介したいYouTube動画がいろいろあるのですが、長くなったので次回に。

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