前回、オランダバッハ協会の演奏での表記を使い、XIXとしましたが、YouTubeではXIVの方が多数派なので、今回のタイトルを変更しました。
さて、インタネット検索していて見つけたこの曲の凄い演奏を一つ。グレン・グールドのピアノ版です。
超スローテンポですが、素晴らしい説得力。各声部が完璧に弾き分けられていて、その意味が良く分かる演奏です。
グールドのフーガの技法はオルガン演奏のでCDがありますが(ここでYouTubeにアップロードされた録音が聞けます)、コントラプンクトゥス1番から9番だけで、14番は初めて聴きました。
折角だから(?)もう一つ。高橋悠治さんのシンセサイザーによるコントラプンクトゥスXIVです。
1970年代、富田勲のモーグシンセサイザーによるクラシック名曲の編曲がヒットしていた時代の作品です。富田さんの「展覧会の絵」や「月の光」なら「なるほどな」という感想でしたが、この「フーガの技法」にはビックリしました。このYouTube動画にはピアニストThomas Schultzさんの的確なコメントが掲載されています。埋め込み画面からは見られないので、引用します。
What I especially admire about Takahashi as a pianist : the breadth of his learning and performing, the cat-like agility and physical animation of his playing, the way his playing is infused with a natural rubato and constant inflection — in a way, the opposite of a pianist like Glenn Gould – his ability to produce unexpected and unimagined sounds and, in particular, his attitude towards “the score”, distilled over years of practical labor as a composer/pianist and a welcome antidote to the stifling view, held by many today, of the performer as one who, as accurately as possible, realizes the “intentions” of the composer. ( Thomas Schultz)
多少意訳すると『高橋の演奏はグールドとは真逆な方向のアプローチであるが、予想外のスコアの読みと斬新な音によって旧来の音楽感を一新させる解釈』という評はまさにこの演奏にピッタリの内容です。
このCDは1番、4番、10番、9番、8番、11番、14番という普通にはない並びで通して演奏され、シンセサイザーの音色、曲の順番、解釈などもユニークです。従ってCDのこの順番で全体を通して聞かれることが前提だと思います。このプレイリストで全曲試聴できます。
「フーガの技法」全体の解釈については鈴木雅明さんが自らの演奏会のために書いたプログラムノートが興味深いです。
Schultzさんが批判する “the stifling view, held by many today, of the performer as one who, as accurately as possible, realizes the “intentions” of the composer. ” じゃないかと怒られそうですが、「これぞ演奏家の本音が書かれたエッセイ」だと思います。
長い間、『フーガの技法』の演奏を夢見てきたが、どうしてもプログラムに取り上げることができなかった。というのは、わからないことが多すぎるのだ。どの楽器で?どの曲を?どの順序で?・・・・
初版譜をもとに、すべてを演奏してみても、コンサートのプログラムとしてはまとまりが悪く、しかも最後のフーガは未完であり、その上、フーガ集大成の終曲としてはあまりに密度が薄い。果たして、『フーガの技法』の真の姿はどこにあるのか。
戸惑いは、もうひとつある。この作品について云々する時、実際の演奏を想定したものというより、「フーガ技法の集大成」という、いわば理論的な著作としての性格が、常に優先されてきたことだ。 ・・・・しかし、実際にバッハの音楽と親しく付き合うならば、これほど納得し難いことはない。バッハの書法は、常に楽器の奏法と一体のものであり、決して演奏の実態から遊離したことがない。・・・・そのような現実派の作曲家が、実際の演奏を離れて、フーガの標本のような作品を発想することが、本当にできたのだろうか。
と言いたい放題。ただ結論は
結果としてこの初稿の姿は、言われてきたような理論的著作としての性格より、遥かに実際の「演奏用」まとまりを示しており、特に後半の3重フーガに至る道筋は、決して音楽が激するわけではないのに、限りなく複雑になって行く声部進行と、至るところで出くわす縦横無尽のテーマの導入によって、その緊張感の高まりは留まるところを知らない。そして最後に訪れるただ2声の拡大カノンが、最高度の技巧を駆使しているにも関わらず、不思議な静寂をもたらして全曲を閉じる。これは正しく、あらゆる職人の技巧を超越した歴史的偉業というに相応しい。
となります。初稿の姿と書かれてるのは自筆譜のことです。詳しくはリンク先をご覧ください。面白いのは鈴木さんは「自筆譜の曲の並びが良い」と評価しているのに、引用文をプログラムに投稿した演奏会では自筆譜ではなく出版譜の曲順で演奏したらしいことです。またCDでも出版譜の曲順です。それぞれリンク先に証拠があります。
矛盾ですねぇ(^^;;;。
これが自筆譜の表紙とコントラプンクトゥス1番の最初のページです。ベルリン国立図書館に所蔵されています。
ISMPLのこのページからダウンロードすることができます。便利な世の中になったものですね。
1986年にChristof Wolffの監修の自筆譜がアメリカPeters社から出版され、自筆譜の存在が広く世に知られるようになりました。
そして、高橋悠治さんが1988年3月28日に東京の新宿文化センターで自筆譜での世界初演を行っています。直後にCD録音されました。僕はこのCDで自筆譜の演奏を初めて聴きました。
曲の並びを出版譜と自筆譜で比較した表です。ご覧のように第1曲を除き全く異なります。右が出版譜からみた自筆譜の番号、左は自筆譜からみた出版譜の曲の番号です。
鈴木さんの主張は「自筆譜の1番から12番が1742年までに書かれていて、この順番で全体が見通しよく理解できる」というものです。確かに高橋さんの演奏はこの順番に並んでいる(13番、14番の鏡像フーガのそのあと続く)のですが、出版譜の並びより自然に聞こえます。
自筆譜の曲順での演奏はまだ少ないのですが、前回ご紹介した40年前のFM放送のバッハフーガの技法特集番組は自筆譜の順番で演奏しています。もっともこの番組は全曲を続けて演奏されているわけではなく1-3,4-7,8.9-11,12-13,14の間に解説が入るという形で演奏されています。この曲順も面白いですね。最初のストレッタの8番が中心に置かれ独立して演奏され、未完の14番で終わるというのが印象的です。
この曲がXIV番と呼ばれることが多いのはこの自筆譜の順番からですかね。ここまでが長い長い脱線でした。
ようやく本題に入ります(^^;;;。
この曲は1927年にライプチッヒ ゲバントハウス管弦楽団によって初演されたようです(出典は上記FM番組の解説より)。従ってバッハの曲としての認知は他の作品と比べて新しいということになるのでしょう。
この曲の録音が一般化したのも20世紀後半になってからです。ここにフーガの技法の録音の詳細なリストがあります。大半は20世紀後半で、カラヤンが1944年、シェルヘンが1948年が一番古いです。その後に来るのは1950年代にグールドのライブ録音です。この時代、鍵盤楽器奏者でこの曲を録音している演奏はありませんから、彼はこの曲の発掘者の一人だと言えるのかもしれません。
未完のフーガを完成しようという試みは19世紀から行われています。前回ご紹介した「グスタフ・ノッテボーンさんがコントラプンクトゥスXIV番の三つの主題にフーガの技法全体の主要主題を対位法的に結合させ、四重フーガを作ることができると示した。スコアはこれです。
主要主題と第二主題で開始し、次の小節で第一主題。更に次の小節で第三(BACH)主題を導入すると綺麗に重ねられるわけです。
ノッテボーン論文は1881年に公開されています。その後、「未完成のコントラプンクトゥスXIVはフーガの技法のメインテーマが第4主題となる4重フーガだ」という提案よる完成版が登場するようになりました。
その中で代表的な補作作品はイギリスの作曲家Toveyによるものです。完成版のスコア(1931年に公開)はここにあります。演奏はYouTubeで「Tovey The art of fuga」で検索すればいろいろ出てきますね。
Toveyの補作の内容を克明に解説した演奏です。
小型のオルガンを使った演奏で、Toveyの補作でどのように主題が展開されているか分かりやすく説明されています。演奏している Jan Overduin さんの案内に従ってご紹介しましょう。
- 233-239 三主題による低声部での最初の結合(ここまでがバッハが書いた部分)
- 240 続けて三主題による高声部での二度目の結合
- 251 三主題による反行の結合
- 263 四主題による反行での最初の結合
- 271 四主題による正行での二度目の結合
- 280 四主題による反行での三度目の結合
- 290 四主題による正行での四度目の結合
- 306 四主題による正行での最後の結合(ノッテボーンさんの結合とほぼ同じ)
- 313 曲の終わりにBACH(第三)主題を主音Dのペダルの上で鳴らす
三主題による展開を三回、その後、フーガの技法全体の主題が第四主題として登場し、反行-正行という形で2回展開させ、最後にノッテボーンさんのスコア通りの展開を組み込み、BACH主題フィナーレで締める。見事な補作です。多くの演奏家がToveyさんの補作を終曲として使うのももっともだと思います。
YouTubeに投稿されている演奏を紹介しましょう。
まず、Tovey ご本人がピアノで演奏した録音です。補作部分のみです。
それではアンサンブルによる演奏でコントラプンクトゥスXIV全体の録音を三つ紹介しましょう。Tovey さんは Grieg やGodowskyと並ぶピアノ奏者だったのですかね。
デルメ弦楽四重団によるコントラプンクトゥスXIVの演奏です。
映像はありませんが、演奏、録音ともに素晴らしいです。このように全曲通して聴くと、Tovey さんの補作の見事さが良く分かりますね。
デルメ弦楽四重団によるフーガの技法全曲のリストによる再生もできます。
次に、Christoph Schlüren 指揮の Salzburg Chamber Soloists による演奏です。 ·
遅めのテンポで各声部の動きがよく分かる演奏だと思います。こちらも再生リストによる全曲の再生が出来ます。
最後にもう一つ。管弦楽による演奏です。ブタペストのオーケストラによるもの。
この演奏は2019年に1回目の録音が、翌年の2020年に2回目の録音がYouTubeにアップロードされています。2019年と2020年の違いは補作開始部分のオーケストレーションを軽くしたとコメントされています。
上記に埋め込みしたYouTube録音は2020年版です。確かにこちらの方がすっきりした感じしますね。2019年版も聞いてみたいという方はここをクリックして下さい。
2019年/2020年のコメント欄にオーケストラ名も指揮者もクレジットされていません。しかし、補作の内容は丁寧に解説されています。このあたりがこのYouTube投稿の不思議なところですね。
チャンネル登録者はNeil Halliday となっていますが、この人がオーケストレーション、補作と指揮をしたということなのでしょうか。
あと、コメントの冒頭に次の記述があります。
Performed by orchestras in Brno and Budpest, with completion adapted from Tovey, and incorporating ideas from Prof. Indra Hughes thesis “Accident or Design etc.”
この「Prof. Indra Hughes thesis “Accident or Design etc”」というのは、多分、この論文のことを言うのだと思います。このレポートは大変に興味深い内容なので、次回にご紹介します。